牛頭天王(ごずてんのう)について調べてみました。下記のようにたくさん紹介されています。
これらのほかにもたくさんあります。

http://www.ffortune.net/spirit/tera/hotoke/gozu.htm
牛頭天王も色々な要素が合体していてよく分からない仏様ですが、元々は牛
 の神様で、京都では公家たちが牛車を使っていたため、八坂の地に牛頭天王
 を祀る祠が作られたのではないかとも思われます。同じ地に祇園寺と八坂神
 社もあったため、平安時代の御霊会・祇園会などを通じて次第に習合してい
 ったのでしょうか。八坂神社は元々は高麗系の八坂氏の氏神で農耕神だった
 ようですし、祇園寺は天神・婆利菜女・八王子を祀る寺だったようです。

 この習合の過程の中で、牛頭天王は祇園会で祓う対象としての疫神と考えら
 れるようになり、また一方ではその本体は須佐之男命であると考えられるよ
 うになっていきました。その場合、婆利菜女は櫛名田姫であるとします。ま
 た先代旧事本紀のように、牛頭天王は大国主命であるとの説もあります。

 祇園牛頭天王縁起では、牛頭天王は須弥半腹の豊饒国王武塔天王の太子で、
 7歳にして身長7尺5寸、頂に3尺の牛頭があり、また3尺の赤角もある。
 長じて王位に付き、牛頭天王と称え、山鳩のお告げで大海中の婆竭羅竜王宮
 に入り、第三婆利菜女を娶り、八王子を生んだ、とされています。

 また別の説では、牛頭天王はインドの九相国・吉祥園の王で祇園精舎の守護
 神であったとの説も聞きます。

 牛頭天王は全国の八坂神社・祇園神社・津島神社で祭られています。

 

http://www.infonet.co.jp/nobk/minoh/gozutenno.htm
牛頭天王信長対策説
 
 為那都比古神社の由緒書には、「天正年間に織田信長が高山右近に命じて北摂一円の神社を破壊するに及び、織田氏が信仰篤い牛頭天王を祀っていると称して、その難を逃れた」と云う記述がある。
 これは、今西玄章が豊島郡誌の中で初めて記し、秋里籬島が摂津名所図会の中に、そのまま取り入れ、遂に神社の由緒書にも記されるようになったもので、事実ではない。
 高山右近が、社寺の参道の踏石や墓石を、高槻城の築城の際に、引き剥がして転用したと云う事実はあるが、それ以上に彼が仏教を弾圧したり社寺を破却したと云う事実はない。また、信長が社寺の棄却を命じたと云う事実もない。では何故、今西玄章らは、このようなことを書いたのか。
 
 それは、近世の神道家や国学者にとって、牛頭天王が、まことに疎ましく目障りなものであったからである。神仏混淆・本地垂迹を排撃する彼らにとって、記紀の中で重要な位置にあるスサノオ神と習合している牛頭天王は許しがたいものであった。それにもかかわらず、牛頭天王を祭神とする神社は非常に多く、延喜式内社までが現在は牛頭天王を祀っている。それで、彼らは、これは本来的なものではなく、緊急避難的、臨時的なものであるとの論理を思いつき、ストーリーを創作したのである。
 北摂の人たちが、石山本願寺の攻防戦や荒木村重の反乱などを通じて、織田信長に嫌悪感を抱いていたことが、恐らく、その発想のヒントとなったものと推察できる。
 
 牛頭天王は京都祇園の八坂神社の祭神で、疫病を防ぐ神であり、薬師如来を本地仏とし、神道におけるスサノオ神と同体であるとされている。また、牛頭天王は祇園精舎の守護神であるので、この神を祭った場所は、しばしば祇園と呼ばれる。
 牛頭天王が疫病を防ぐ神となった由来は備後風土記逸文の中に見える。すなわち、牛頭天王は須弥山中腹の豊饒国の武塔天王の太子で、竜王の娘を妻問いに行く旅の途中、宿を貸してくれと頼んだ時、弟の巨民将来は断ったが、兄の蘇民将来は承諾したので、帰途、弟の家の者はすべて疫病によって殺した。そして、私はスサノオ神であると云った。と記している。そして、釈日本紀は、この話を記して「これ祇園社の本縁なり」としている。
 
 京都祇園の八坂神社は、貞観年間に円如と云う僧が、播磨国広峰から牛頭天王を遷してここに祀り、元慶年間、摂政藤原基経が牛頭天王のために精舎を建て、祇園社と呼んだのに始まると云う。そして、天禄元年、悪疫を鎮めるために祇園御霊会(祇園祭)が始まり、長徳元年、二十二社の中に加わえられた。
 
 牛頭天王信仰が、どのような人たちによって、どのような過程を経て、民衆の中に広まっていったかについては明らかでないが、医療技術が極めて乏しかった当時、疫病を防ぐ強い霊力を持つとされた牛頭天王に対する信仰が、平安時代末期から中世にかけて、燎源の火のように広まったことは想像に難くない。そして、牛頭天王は略して単に「天王」と呼ばれた。民衆にとって、「てんのう」とは、天皇のことではなく牛頭天王のことであった。
 このようにして、北摂一帯においても、牛頭天王を祀る神社が数多く現れることになる。しかし、どうやら、新たに牛頭天王を祀る社を作ると云う形は少なく、多くは、従来から存在する社に牛頭天王を併祀する形で行われた。そして、それらが、いつの間にか、従来からの祭神を押しのけて、牛頭天王が主祭神の座を占めるようになったと見られる。
 箕面の為那都比古神社の場合も、このようにして、いつしか祭神を牛頭天王とするようになり、牛頭天王社と称するようになったものである。決して、織田信長対策なのではない。
 
箕面地域において、明らかに牛頭天王を祀ったと見られる神社は次の通りである。
(1)為那都比古神社
(2)大婦天王社(大宮神社)
(3)阿比太神社
(4)粟生天王社
(5)須賀神社 
(現在は廃絶)

(現在は素盞鳴尊神社)
(現在は廃絶)  石丸
白島
桜ヶ丘

小野原 

箕面の近辺の有名な神社で牛頭天王を主祭神としたことがあるものをあげると、
茨木市域
高槻市域
吹田市域
豊中市域  茨木神社、郡神社、溝杭神社、新屋坐天照御魂神社
野見神社、
高浜神社、泉殿神社、素盞鳴命神社(片山)
原田神社、春日神社(利倉) 
 
  ところで、明治政府は神仏分離を政策とした。このため、牛頭天王を祭神としていた神社は、すべてその祭神をスサノオ神に変えるか、もしくは、祭神の中から牛頭天王を除外した。
 また、社名を牛頭天王社としていた神社は、その神社名を変えていった。
   @旧来からの社名に変えたもの(特に、式内社とされたものは、この道を選んだ)
   A素盞鳴命神社、もしくは須賀神社、もしくは八坂神社と変えたもの
   B地名を冠した社名に変えたもの
京都の祇園社自身も、その名を八坂神社と改め、祭神をスサノオ神に変更した。 箕面市域の牛頭天王を祀る社も、このような一般的動向に従っていった。
 
 

 

http://homepage.mac.com/ryomasuda/Saigoku/history/KamiGami/Goz2.html
近世牛頭天王祭祀状況
地図内の牛頭天王
1 茨木神社 茨木 主祭神 天石門別神社を以つて偽りて牛頭天王と称(大阪府誌)
茨木氏神...春日大明神・牛頭天王・八幡大神宮(1593棟札)
4 (井於神社) 三宅 相殿 今称三所明神(摂津志)
− (八王子社) 山田上 小社 伊射奈岐神社[5]に1911(?)合祀
八王子社(元禄五年寺社吟味帳)
6 伊射奈岐神社 佐井寺 相殿 春日大明神...牛頭天王(元禄五年寺社吟味帳)
牛頭天王社(摂陽群談)
8 泉殿神社 吹田 主祭神 牛頭天王社(元禄五年寺社吟味帳)
9 郡神社 春日 主祭神 春日大明神または牛頭天王社とも称(大阪府全志)
10 素盞鳴命神社 片山 主祭神 牛頭天王社(元禄五年寺社吟味帳)
12 太田神社 太田 相殿 称曰内宮外宮天王宮(摂津志)
14 吉志部神社 岸辺 相殿 七社明神と称す(稿本「名葦探杖」)
祇園牛頭天王(元禄五年寺社吟味帳)
15 高浜神社 吹田 主祭神 牛頭天王春日神明神を祭る(摂津名所図会)
17 春日神社 下新田 相殿 春日...牛頭天王(元禄五年寺社吟味帳)
18 須佐之男命神社 味舌 主祭神 一座は味舌上村にあり、祭神牛頭天王(摂津名所図会)
21 八阪神社 宿久庄 主祭神  
24 (春日神社) 上穂積 相殿  
33 (素盞鳴尊神社) 沢良宜西 主祭神  
35 (中真神社) 別府 主祭神  
− 八阪神社 宮前 主祭神 住吉神社[38]に1907合祀
40 八阪神社 熊野田 主祭神 もと葛上神祠と称...後牛頭天王と呼ばれ(大阪府全志)
41 素盞鳴尊神社 江坂 主祭神 牛頭天王社(元禄五年寺社御改帳)
47 為那都比古神社 桜村 主祭神 祭神牛頭天王(豊島郡誌)
58 春日神社 利倉 主祭神 牛頭天王祠(摂津志)
59 原田神社 原田 主祭神 祭神牛頭大皇ト云フ(豊島郡誌)
63 阿比太神社 桜 主祭神 祭神ヲ牛頭天皇トナス(豊島郡誌)
その他北摂・豊中周辺
  (椎尾神社) 島本村山崎 主祭神 西観音寺の鎮守(大阪府史蹟名所天然記念物)
  若山神社 島本広瀬村 主祭神 称曰西八王子(摂津志)
西八王寺或ひは中頭天王と称(大阪府誌)
  (小烏神社) 島本村広瀬 主祭神  
  牛頭天王祠 成合村金龍寺山内 主祭神  
  野見神社 高槻 主祭神 延喜式内、今、牛頭天皇と称す(摂津名所図会)
  八阪神社 高槻原村 主祭神 毎年二月八日原村天王祭あり原五ヶ村の生土神(摂陽奇観)
  (春日神社) 高槻西天川 相殿  
  (冠須加神社) 高槻野中 主祭神  
  (冠須加神社) 高槻辻子 主祭神  
  (素盞鳴尊神社) 高槻郡家 主祭神  
  (素盞鳴尊神社) 如是村庄所 主祭神  
  (素盞鳴尊神社) 如是村東五百住 主祭神  
  (筑紫津神社) 如是村津之江 主祭神  
  (高座神社) 清渓村佐原 相殿  
  (素盞鳴尊神社) 清渓村泉原 主祭神  
  新屋坐天照御魂神社 福井 主祭神 今称天王(摂津志)福井庄牛頭天王社頭造営(1584棟札)
  (牟礼神社) 三島戸伏 主祭神  
  (素盞鳴尊神社) 三島村戸伏 主祭神  
  溝咋神社 三島馬場 主祭神
相殿? 溝咋郷牛頭天王上下両者二階堂馬場十一目垣四区之鎮守(溝咋千手観音裏書)
  須賀神社 三島鮎川 主祭神 溝咋郷牛頭天王上下両者二階堂馬場十一目垣四区之鎮守(溝咋千手観音裏書)
  八阪神社 三島村太田 主祭神  
  (諏訪神社) 石河村生保 相殿  
  (素盞鳴尊神社) 見山村清坂 主祭神  
  (素盞鳴尊神社) 見山村下音羽 主祭神  
  (須賀神社) 見山村清水 主祭神  
  (須久久神社) 宿久荘 主祭神  
  (須賀神社) 豊川村小野原 主祭神  
  (素盞鳴尊神社) 豊川村菩提山 主祭神  
  (素盞鳴尊神社) 玉櫛村水尾 主祭神  
  八坂神社 北豊島神田 主祭神 牛頭天王(豊島郡誌)
  庄内神社 庄内 相殿 大字野田八幡神社...正保元年(一六四四年)...牛頭天王を勧請奉祀し以て氏神とせり(庄内村誌)
  椋橋総社 庄本 主祭神 牛頭天王祠(摂津志)

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